3歳の僕と。20歳のおじさん。

   

 - 大佐の日常

20歳の時に
死にそうになったことがあります。
「あ、ダメだ・・・・・」

そう思いました。

あまりのことに
すぐに悟った感じに。
時速120km/hは超えてた
と思います。

その速度で
縁石に突っ込み
車がジャンプ。
その瞬間
そう思ったことです。

橋の下は
50~100m。

落ちたら完全にアウト。

奥多摩という東京の
山奥の峠での出来事でした。
友達の運転する車の助手席
で20歳の生涯を閉じるところだった・・・・。
でも、
橋の柵に跳ね返って
運よく死ななかったんです。

車は大破して
左前がなくなってました。

タイヤも
どっかに行っちゃってましたね。
普通、死ぬか
一生残る大けがをしてるところです。

でも、ほぼ無傷。
(むち打ちにはなりましたけどね)

そこから遠い救急病院まで
行くまでの間に
涙が出てきました。
若かったんで
命の大切を意識できて
ませんでした。
正直
生きてて良かった
っていう感覚ではなかったんですね。
でも
涙が溢れて来ました。

僕には
めっちゃかわいがってくれる
叔父さんがいました。
叔父さんは20歳で
僕は3歳。
就職したばかりで
そこまでお金がなかったはずだけど
僕が乗れる大きなゴーカートを
買ってくれました。
他にも
いっぱい買ってくれたり
遊んでくれたようです。
僕は叔父さんが
大好きでした。
その叔父さんが
20歳の時に
車の事故で亡くなったんです。
(山奥の峠)

僕は3歳だったので
全く覚えてないけど
ずっと心の中にいる人です。

僕が20歳で
事故った時に
守ってくれた。
僕は直観的にそう思って
涙が溢れて来ました。
これを書いてる今も
涙が出そうです。
未だに当時の笑顔で
ずっと微笑んでくれてる。
そんな感覚なんですね。
20歳で同じ死に方を
しそうになった時に

「まだ来るなよ」
「もっとやれることあるよ」

そう言ってくれてるよう
な気がしたんですね。
当時、
命を大切にしてなく
他人も大事に出来てなかった僕は

「叔父さんに
延ばしてもらった命。

これを活かして
人のためになろう」

そう思ったんですね。

それまでより
人の立場に立つようにしたり
受け入れる姿勢にしたり
してみました。
すぐにはできなかったけど
徐々にできるようになり
26歳で100人の部下を統括
するようになりました。
今は
立場は違いますが
まだまだ出来ることがあるなぁ。
そう思います。

昨日お墓参りで
叔父さんのお地蔵さんに
手を合わせてるうちに
それを感じました。
せっかく
延ばしてもらった命を
全然活かしてないなぁと。
やさしい叔父さんが
もっと世の中の役に立つために
延ばしてくれたのに・・・・。

僕は目立つのが嫌いで
目立たないようにやってきた
部分があるんですが

そろそろ
そうも言ってられないのかなと
思うようになりました。

今年から準備して
来年にはもっと広く
誰かの役に立てるように
動いて行こうかなと。
新たにそれに
気付かせてもらえた
ひと時でした。

この記事を書いた人

大佐
大佐【地域一番店化×自立型スタッフ】コンサルタント NLPプロフェッショナルコーチ
「スタッフさんが自主的に売上を上げてくれる!」という『波紋型マネジメント™』で楽しく売上が上がる仕組み創りコンサルタントをしています。何故出来るのか?それは16年間、100人以上の規模の会社をエリアマネージャーを置かずに利益を出し続けていた経験があるからです。(業界の市場規模が半減してる時でした)一人でそういう組織を創るには、『想い』がお客様まで伝わる方法と、誰でも一瞬で販促のプロになる方法を身に付けてもらえる仕組みが必要です。その方法が『波紋型マネジメント™』と『7つの販促術』です。また、経営者をサポートすべく『全米NLPプロフェッショナルコーチ認定』を受け、経営者にコーチングしてます。 話しやすい空気感って言われます。株式会社LER代表取締役。1972年・東京都生まれ。染谷 充紀(大佐)